特定非営利活動法人 外交政策センター(FPC)

副理事長 石澤靖治( 学習院女子大学教授・前学長)

ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(MPA)、博士(政治学・明治大学)。ハーバード大学国際問題研究所フェロー、ワシントンポスト極東総局記者、ニューズウィーク日本版副編集長を経て2000年より学習院女子大学助教授、2002年より教授。2011年より学長。他にこれまで高等国際研究大学院(SAIS)客員研究員、欧州共同体(現欧州連合)派遣研修プログラム研究員、東京フルブライト・アソーシエーション理事などを歴任。

石澤靖治時事解説

日本はロシアにどう対し、何を得るか

石澤靖治(2022/05/23)

 誰もが言う。今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、世界は歴史的な構造変化を迎えている――このことに全く異論はない。同時に今後の戦いの行方やウクライナ、ロシア双方の将来などについて様々な予測がなされている。
 そんな中でわれわれ日本は、この歴史的な転換の中で、それをどのような形で国益に結び付けていくかべきか。今回の出来事について「ポスト冷戦時代の終了」とする見方がある。だが日本はポスト冷戦の時代にあっても、第二次大戦の敗戦国としての「冷戦時代」のメンタリティを持ち続けてきたのではないかと思う。今回の出来事で日本が認識すべきことは「戦後は終わった」ということではないだろうか。ドイツはその認識を明確にしたようだ。日本においては「ロシアのウクライナ侵攻に悪乗りして、日本の軍事的な議論を高めようとしている」というような、相変わらずのパシフィストも存在する。だが、「侵攻があったからこそ、戦後のくびきから解放されて日本が自らの問題として国家の安全保障を議論できるようになった」と考えるべきであることはいうまでもない。
 同時に、戦後日本は一貫して世界の動きの中でパッシブな態度に終始してきた。もちろん目立たないところでの熱心な外交活動はあったものの、戦略性という点で大きく欠けるものがあったことは否めない。ところが今回世界が大きく動く中で、日本はどのような形の国際社会の姿を想定し、それに対してどのような行動をとるべきか、そうした戦略性と能動性が問われている。
 今後の国際社会の姿については、現時点でそれを明確な形で言及することは困難である。そこで一つのケースについて考えてみたい。戦争の行方を即断する時期ではないが、ここでロシアが敗北を喫した場合を想定してみよう。ここでの敗北とはロシアが軍事的に手痛いダメージを受けて、ウクライナを攻撃することが不可能になると同時に、西側諸国からの制裁が継続して、ある種の「追放」の対象になったような場合である。
 その際に、日本はどうするかである。一つはアメリカなどともにロシアに対して制裁を行った西側諸国と完全に同調し、ロシアを徹底的に叩く。その場合は第二次大戦直後、連合国側が日本に対して考えたように、ロシアが軍事的脅威として存立できないような国にすることである。そして日本はその機を逃さず北方領土が不当に奪取されたことを世界に訴えて、その取り戻しを図る。またその際には57万人以上が不当に抑留され約5万人8000人が亡くなったシベリア抑留について言及することも忘れてはなるまい。
 一方、その逆のアプローチも考えられる。つまり米欧諸国がロシアを足蹴にする中で、日本は基本的に同じような姿勢をとりつつも、「隣国」であるロシアに何らかの形で救いの手を差し伸べるというものである。ただしそれが抜け駆けととらえられるような形では日本の国益を損なう。一定の時間をおいて中長期的な形でロシアの経済の復興を積極的に支援するというような行動である。
 そのことによるメリットはいくつかある。孤立するロシアは必然的に中国に依存する割合が大きくなってくる。一体性を高めたロシアと中国は、隣国日本にとっては極めて大きな脅威である。日本のロシアに対する経済協力は、そのような軍事的脅威を低減させることができるかもしれない。またロシアの対日世論が日本に好意的な形になることで、北方領土の返還の実現性も見えてくる、と考えるのは楽観的すぎるだろうか。
 敗戦国に対する対応として重要な歴史的な教訓としては、第一次大戦後で敗北したドイツの事例であろう。この戦争は国家の総力戦となった初めて戦争であったが(厳密にはそれ以前の日露戦争がそうであった)、同時に新聞メディアが世界に普及したことから、メディアを使った最初の世論戦でもあった。そして戦闘だけでなく世論戦でも勝利したイギリスは、国際的にドイツを極悪非道の国としてレッテルを貼ることに成功した。その結果、その後のベルサイユ講和会議では、ドイツに天文学的な賠償を科すことが合意された。その返還はあまりにも非現実的であり国際経済に有害であったため、その後ドーズ案が提案され、一定の軽減はなされた。だが、ドイツは国際社会の無慈悲に憤り、その後のナチス・ドイツの出現・拡大を見ることなる。その結末は周知のとおりである。
 今回の戦争においても、ウクライナの情報発信の見事さとプーチンの戦略のまずさによって、国際世論はロシアをひどい悪者として位置付けている(中国やインド、アフリカ、中南米の国々は反対か中立の立場をとっているが)。この状況は第一次大戦後のドイツと通じるものがある。
 戦争はまだまだ終わっていないし、ロシアの決定的な敗北を前提として考えるべきかどうかは議論の分かれるところであろう。しかしながら、日本は今回の出来事を奇貨として、国際社会でどのように国益を最大化しつつ生き延びていくのか。種々のケースを想定しつつそのことを改めて正面から考えていくべきであることに間違いはない。

ロシアのウクライナ侵攻とメディア

石澤靖治

第5回発行 新メディア戦の光と陰:2022/05/15

 これまで4回にわたってこのテーマで解説してきたが、全てをフォローする前にメディア戦の状況がある程度落ち着いてきた。そこで今回中締めとして、言及していなかった重要な点について、その要点のみをまとめて示しておくことにして、このテーマは今後折りにふれて解説していく形にしたい。

ソーシャルメディアの攻防

 ロシアでは、フェイスブック、ユーチューブ、ツイッター、インスタグラムなどの米系ソーシャルメディアの活動が停止された。ソーシャルメディアにより、ロシアとは異なる見方の情報が拡散することを恐れる当局の動きとしては特段驚くべきことではない。だが、その中でTikTokだけは活動が許されている(5月中旬現在)。いうまでもなくTikTokは中国系プラッットフォーム。これまでこの欄で示してきたロシアと中国との蜜月関係がわかる。
 またロシア国内で前述のSNSは利用できないが、ロシアでネットリテラシーの高い人は海外のSNSにアクセスできるVPN(ヴァーチャル・プライベート・ネットワーク)を使って、3月中はネット利用ができたこと、またロシアのSNS「テレグラム」が一定の情報源となりえたことを記しておく。

ネット回線確保の成功

 ウクライナのゼレンスキー大統領の国内外に向けた情報発信は、その内容と積極性によって、国際世論を味方につけることに成功した。
 その中で注目しておくべきことは、開戦直後のロシアの激しい攻撃の中で、彼らのインターネット回線がつながり続けたことだった。これがなければゼレンスキーのメッセージの発信も不可能だった。それを可能にしたのが、衛星回線によるインターネット接続であり、それを行ったのは同国の現在の副首相兼デジタル改革相のミハイロ・フョードロフ。彼が侵攻直後、ツイッターで衛星によるネット接続Starlinkを展開するイーロン・マスクにその設備の提供を呼び掛けたところ、マスクがすぐに応じた。今後の戦争ではケーブルだけではなく、衛星回線をめぐる攻防という段階に入っていくだろう。
 この副首相兼デジタル改革相のフョードロフは、まだ31歳ということで「ウクライナのメディア戦を指揮する男」として一躍時の人になった。日本でもいくつかの報道が出ているが、そのネタ元になっていると思われるのは、ワシントンポストの3月2日付“The Ukrainian leader who is pushing Silicon Valley to stand up to Russia”https://www.washingtonpost.com/technology/2022/03/02/mykhailo-fedorov-ukraine-tech/ 詳しくはそのオリジナルを参照することをお勧めする。

ディープ・フェイクの無力化

 メディア戦で懸念されたのが、人物の写真や映像を加工して本人に見せかけて、偽情報を流す「ディープ・フェイク」である。以前から想定されていたのが、仮に中国が台湾に侵攻した際に、蔡英文総統のディープ・フェイク映像を作成して、中国に降伏するよう本人の口から語らせるようにみせることであった。それと類似したことが今回、ゼレンスキー大統領のディープ・フェイク映像として流された。これは本人の映像加工ではなく、似た人物に語らせたものだったが、刮目すべきはそれがほとんど効果を示さなかった点である。それについては、ウクライナのみならず世界の人々がそうした可能性を事前に認識していたことが最も大きな理由かもしれない。もちろん、ゼレンスキー自身が、それに対して時間をおかずに否定したというメディア戦の基本通りの対応をみせたことや、「偽ゼレンスキー氏」が見破られる程度の出来だったことも理由である。しかしながら、ここ数年でディープ・フェイクについてのリテラシーが急速に上昇していることがポイントではないか。ただそれでディープ・フェイクの威力が全くなくなったと考えるのは性急すぎると思われる。

米英の対ロ偽情報対策の成功

 アメリカが2016年の米大統領選でロシアからの情報戦に大きく混乱させられて以降、ロシアからの偽情報に対してかなり強固に守りを固めていたことが挙げられる。例えば国務省では、Global Engagement Centerという部署を設けてロシアの偽情報戦略を説明しているだけでなく、侵攻前からロシアがウクライナを侵攻するための理由として挙げている言説に対して、項目ごとに分類して的確に反論している
 https://www.state.gov/bureaus-offices/under-secretary-for-publicdiplomacy-and-public-affairs/global-engagement-center/
 メディアの側でも4月中旬ごろまで、英BBCがロシアの偽情報のチェックを(Reality Check:https://www.bbc.com/news/reality_check)行っていたことが特筆される。

アメリカのインテリジェンス公開戦略の成功と失敗

 今回はアメリカ・イギリスのロシアに対する攻めの情報公開が効果を示した。戦争開始前から米英両国は自国のインテリジェンスを公開しつつ、ロシアのウクライナ侵攻の抑止を図った。実際には侵攻が行われたために抑止は効かなかったことになるが、それは失敗ではない。というのは、事前に異例のインテリジェンスを公開しつつ引き止めを行い、それをロシアが無視した形にしたことで、ロシアを「悪」というポジションに置くことに成功したからである。一方でアメリカは、ウクライナがロシアからの侵攻を受ければ、3、4日のうちにウクライナは崩壊するというインテリジェンスも有していたが、これは隠していた。
 だが、それだけ細心の注意を図っていたものの、5月になってアメリカのもたらしたインテリジェンスによって、ロシアの旗艦モスクワがウクライナのミサイルによって撃沈されたという情報を管理できずにリークされてしまった。ロシアを刺激しないためにこの種のインテリジェンスの公開は避けていたバイデン政権にとって、手痛いミスであった。

ロシアの国内世論統制の成功

 現在は「情報は管理できない時代」と言われる。また国際世論を敵に回す中で、ロシア国内で事前・事後に徹底的にテレビ、新聞、ネットを統制していたことで、少なくとも5月初旬までは、プーチンの戦争支持の世論を維持することに成功している(独立系世論調査機関レバダ・センターの4月28日調査で、3月からは下落したものの74%)。逆説的な意味から、この事実も記憶しておくべきであろう。

第4回発行 ロシアとアフリカを結びつける点と線:2022/05/07

 プーチンのロシアがアメリカとイギリスのメディア支配を打破すべく、英語による国際ニューステレビ局RTと総合メディア企業でもあるスプートニクを設立したことや、それがアメリカが提唱する(そして基本的には西欧諸国も同意する)自由と民主主義に基づく政策に対する反発だということは、これまで何度か述べた。それは単なる反発ではなく、ロシアはそうした米欧主導の考えに必ずしも同意しない国々を、メディアによって巻き込もうという行動を実は周到に行っていた。そこでターゲットにしたのが、アフリカだった。
 2019年10月。プーチンは黒海に面した保養地で冬季オリンピックも開かれたソチで、第1回ロシア・アフリカサミットを開催した。すでに、アフリカの最も価値ある貿易相手国の一つとして地位を確立してきたロシアは、このサミットでは政治、経済、安全保障などでのいっそうの協力を謳い上げた。
 だがこれより前に、ロシアはアフリカへのメディアの浸透も同時に図っていたのである。2019年初め、ロシアのガーナ大使はガーナの主要なニュース企業であるガーナニュースエージェンシーの幹部に会い、ロシアのタス通信からのニュースを西アフリカの国々の新聞、サイト、テレビ局に配信させるべくアプローチを行っている。  またロシアはRTのドキュメンタリー番組をアフリカの複数のテレビ局に提供することを決定。さらにRT とスプートニクがアフリカのジャーナリストに対してソーシャルネットワークサービス(SNS)の展開の仕方などを中心に、ニュースサービスの研修を行いたい旨を提案。そのために、わざわざアフリカ諸国に両社の専門家が出向く姿勢も示した。
 こうしたロシアのアフリカに対する積極的なアプローチには、ある人物が背後にいることでその本気度がわかる。それはホットドックビジネスから身を起こし、いまやロシア有数の大富豪にのし上がったエフゲニー・プリゴジンである。ビジネスの成り立ちとプーチンとの極めて近い関係から「プーチンのシェフ」とも呼ばれる彼は、「ワグネル」と呼ばれる傭兵の後ろ盾になっているとも言われる。このワグネルは、リビア、シリア、スーダンなどの紛争地域で「活躍」したことは広く知られている。その意味でプリゴジンは、プーチンにとっては不可欠の人物である(ワグネルの存在についてプーチンは公式には認めていない)。
 その彼が数年前にアフリカのメディア戦略にも踏み込んでいた。プリゴジンは、ナショナリストの視点のオンラインニュースサービスも手掛けているが、2016年の米大統領選などで、アメリカに情報戦争をしかけた組織として近年はその名を知られるインターネットリサーチエージェンシーにも関与しているとされている。そのため彼は米連邦大陪審から起訴されている。またロシアの調査報道サイトによると、プリゴジンは英語の反米サイトUSAReally をも支援しているという。同社のサイトによるとその設立目的は、「政治エリートにコントロールされた大手アメリカのメディアによって隠された問題や情報を公開するため」としている。それはRT やスプートニクの目的と重なり、いわばこれらのデジタル版である。その考えに立ってこのサイトは精力の多くをアフリカにつぎ込んでいる。ロシアはさらに、リビア、中央アフリカなどで積極的にメディア活動を行っている。
 では、ロシアとロシアメディアによるアフリカ諸国への活動に効果はあったのだろうか。それを次の結果で考えてみよう。ロシアのウクライナ侵攻という行為に対して、3月2日に国連でロシアに対する非難決議が採択された。その結果は賛成141、反対5、棄権35。これについて採択を望んだ日本を含む米欧諸国の評価は「思った以上の多数での非難決議」というものだったが、気になるのは棄権35か国であり、そのうち17か国がアフリカの国々であったことである。ナイジェリアやエジプトなどは非難決議に賛成したが、アフリカ54か国中、3分の1近くの17か国が棄権というのは少ない数ではない。
 4月7日にはロシアの国連人権理事会の理事国資格を停止する決議が投票にかけられた。この時は93か国が賛成、ロシアのほか中国や北朝鮮など24か国が反対、インドやブラジル、メキシコなど58か国が棄権したが、アフリカ諸国の棄権の数は前回の非難決議を上回った。アメリカや旧宗主国であった西欧の国々に対する根強い反発を、ロシアがメディア攻勢をかけたことで掘り起こし、棄権に回らせたとみることもできる。
 国連加盟193か国中、アフリカは54か国。一国が一票をもつ国連でアフリカは4分の1以上の勢力をもつ。ちなみに、ロシアの盟友となった中国もロシアより一足先にアフリカに経済だけでなく、自国メディアを浸透させて親中世論の拡大を図っている。例えば中国中央電視台CCTVのアフリカ語放送のCCTVアフリカ(のちCGTNアフリカ)をエチオピア、ケニア、ルワンダ、ガーナなどで視聴者数を拡大させてきた。また高給与でジャーナリストを集めて中国シンパのメディア環境の形成も行っている。ロシアが2019年、タス通信のニュースの配信のアプローチをガーナのニュース企業に売り込んだことを前述したが、中国はそれ以前に同社との契約を締結し、中国の国営メディアのニュースの配信を行っている。さらに新疆ウイグル自治区のついての批判的な報道を封じ込めることも行いつつ、中国主導の世論形成を行っている。ロシアは国際的に猛烈な逆風を受けて劣勢である。しかし世界は必ずしもそれに同意する国だけではないこと、そのためにロシアが手を打っていたことは記憶しておく必要がある。

第3回発行 情報戦があぶり出したロシアと中国の蜜月関係:2022/04/10

 米英メディアとアメリカの民主主義支援組織によって形成された国際世論に、真っ向から反旗を翻したプーチンには、強い味方がいた。今回のウクライナ侵攻で欧米から厳しい制裁を受ける中で、経済的にも場合によっては軍事的にも頼りにする中国こそがそれである、と言えばほとんどの人が納得するだろう。4月初旬時点で中国はロシアに対して軍事的・経済的な支援を行うかどうかについては立場を明確にしていない。だが、情報戦においては、ロシアのウクライナ侵攻開始のときから、中国は確信犯的にロシア支援を展開してきているのである。今回はそれをみてみよう。
 ロシアのウクライナ侵攻における情報戦では、そうした状況を象徴的に示したものがあった。それは3月上旬、ロシアの国営メディアが「アメリカがウクライナに資金を提供して生物化学兵器を開発している」と報じた時のことである。ロシア政府はそのことを国連の安保理にも持ち出した。
 それについて米議会の公聴会で、ウクライナ問題を担当するビクトリア・ヌーランド国務次官は「アメリカがウクライナの研究所に資金を出している」という事実を認めつつも、その目的は生物化学兵器の開発とは全く別物であるとして、次のように説明している。2005年以降、米・ウクライナによる施設はあるが、それは生物化学兵器を開発するためのものではなく、これまで生物化学兵器に使われてきた物質を保管・分析し、それらが他国で使われた際に対処するためのものだとしている。
 この説明に示されるように、実際にこれまでウクライナによって生物化学兵器が戦闘で使われた形跡はない。一方、ロシアはウクライナ侵攻の理由の1つとして、ウクライナが生物化学兵器を開発している可能性があると以前から言及している。そのため、ロシアが今回その研究施設を制圧した場合に「ウクライナが生物化学兵器を隠し持っていた」と主張をするためか、あるいは自らが生物化学兵器を使用した場合に、逆にウクライナが使用していたと言いくるめるために、事前に偽情報を流す戦略であると考えられている。
 ところがロシア発のそのような戦略的な偽情報の発信に、中国側は即座に肯定的に反応して支援した。中国政府の報道官としてこれまでも欧米に挑発的な発言を続けてきたことで知られる外交部の趙立堅は、3月8日、「アメリカは国内および海外に設置している細菌生物開発活動の全容について明らかにすべきだ。これは明らかに国際法違反だ」と、ロシアのラインに沿った形での発言を行い、アメリカを厳しく非難した。
 すると中国共産党機関紙、人民日報の傘下の環球時報がその2日後に、ロシア国防省がアメリカがウクライナとともにその種の研究所を運営していることを確認したと報じる。さらにそれを受けて3月19日には、中国国営の新華社通信が米政府は「2005年以降、ウクライナ政府と共同でウクライナ国内の46か所の研究機関を運営、総額2億ドルを費やしている」というロシア側の情報をそのまま流して増幅。情報戦においてロシアを全面的にバックアップしたのである。
 情報戦での中国のロシア支援のそのような姿勢については、ニューヨークタイムズが“How China Embraces Russian Propaganda and Its Version of the War”https://www.nytimes.com/2022/03/04/business/china-russia-ukrainedisinformation.htmlの中で、いくつもの事例を示している。
 例えば、ロシアがウクライナに侵攻した直後の2月24日、環球時報にウクライナ兵士が投降している映像らしきものが掲載された。その映像の真偽は定かではないのだが、ネタ元はプーチンの肝いりで反米英メディアとして設立されたロシアの国際テレビ放送局RT。その2日後の26日、ロシアの激しい攻撃が伝えられる中で、ウクライナのゼレンスキー大統領が首都キーウから逃れたというニュースが、中国の国営テレビ局である中国中央電視台(CCTV)で報じられた。そしてそのニュースは中国版TwitterやFacebookと呼ばれるウェイボーで拡散。同様にウクライナが捕虜にしたロシア兵に「ナチスが行ったような拷問を加えている」という情報が流れると、これもその真偽が確認される前に中国のCCTVと人民日報が報じて、やはりネットで拡散した。つまり、中国メディアはウクライナに不利な情報や、ロシアが流したウクライナを非難するための偽情報あるいは不確かな情報を、国営メディアを使ってそのまま流し、ネットでの拡散を図るというパターンを作ってきたのである。一方、ウェイボーでは、ウクライナを支持するようなメッセージは検閲されて取り除かれているという。
 これらのことから、今回の情報戦で中国はロシアを全面的にサポートしていることがわかる。だが、考えてみればそれは当然のことであろう。前回、米英が国際報道の主導権を確立していることに対抗して、プーチンが英語による国際テレビ局RTを設立したことを述べたが、中国も同様の問題意識から2012年にCCTVアメリカ(2016年にCGTNと名称変更)という、やはり英語による国際テレビ局を開設し、米英の国際メディア主権に宣戦布告を行っていたからである。今回のロシアの偽情報戦略は、現時点では成功にはつながっていない。しかしウクライナをめぐる中露の一連の行動は、ターゲットはアメリカであるという両国の本音を見事にあぶり出している。

プーチンが意を決した日 第2回発行:2022/04/07

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が一体何を考えているのか――ウクライナに全面的な軍事介入を行ったことが、多くの人から意外感をもって受け止められていることから、プーチンの胸の内について様々に詮索されている。それ自体は当然のことであるが、後講釈になるにせよ、今にして思えば彼の「決意」を示すものは明確だったし一貫していた。そしてそれが彼のメディア戦略(政策)に反映されている。
今回はそれを検証することにする。
 プーチンの「決意」を示したものが、2007年のミュンヘン安全保障会議での言動だった。この会議には世界各国の首脳や閣僚などの要人が列席するが、その際演壇に立ったプーチンは、突然「アメリカが他国に介入することを歓迎する国があるだろうか」と言い放った。この発言に「こいつは何を言い出し始めたんだ」という感じで、出席していた米政界の重鎮であるジョン・マケイン(米上院議員、2008年米大統領選共和党候補。2018年没)やジョー・リーバーマン(米上院議員、2000年米大統領選民主党副大統領候補)らは、最初へらへらと笑っていた。だが、その後もプーチンが鬼気迫る様子で同様の発言を繰り返していったことで、彼らの表情はみるみるこわばっていった。プーチンは本気だったのだ。そしてこれが西側諸国への全面対決の決意表明であったし、その後「プーチンのロシア」が行ったこともここから理解できる。
 何がプーチンにこのような決意表明をさせたのか。その要因については、一般に北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大と、2003年にジョージアで起きたバラ革命や2004年から2005年にかけてのウクライナでのオレンジ革命などの、いわゆるカラー革命での親欧米勢力の勝利にあるとされている。両国は、旧ソビエト連邦を構成する国であり、それらがロシアを支持しない勢力に主導権を与える結果になったことに対して危機意識をもつのは当然ではある。
 だがプーチンはその「革命」が「アンフェア(不公正)」だと思ったのである。というのは、これらの革命をイギリスのBBCやアメリカのCNNが、民主化を求める欧米寄りの政治勢力の側に立って報道し、ロシア側の政治勢力が悪役とされてしまったとプーチンは認識したからである。そしてその背後では、民主化を求めるこれらの国々の欧米寄りの勢力を、アメリカの非政府組織(NGO)全米民主主義基金(NED)が現地の民主化促進という理由で支援していた。つまりプーチンは米英が仕掛けた国際世論工作に敗北したと受け止めたのである。
 このNEDについてはあまり知られておらず、資料も少ない。William Blum Rogue State―A Guide to the World’s Only Superpower. State Zed Books 2002(邦訳ウィリアム・ブルム(益岡賢訳)『アメリカ国家犯罪全書』(作品社、2003年))の中の1つの章で紹介されている程度である。かつてアメリカは中央情報局(CIA)を通じて世界で政権転覆など様々な工作を行ってきたが、その隠密行動はアメリカの評判を落とした。そこで1980年代に世界の民主主義の促進という謳い文句によって創設されたのがNEDである。ただし結局のところ、それは「裏CIA」にすぎない指摘する人もいる(このあたりのことは、拙著『アメリカ 情報・文化支配の終焉』(PHP、2019年)で取り上げており、参照していただきたい)。
 プーチンは民主主義の促進という名目でこの裏CIAが動き、それが英BBCや米CNNなどの報道に連動することで、ロシアが悪者にされてしまったことを許すことができなったのである。そこでプーチンは、ウクライナのオレンジ革命に敗北した直後の2005年、ある対抗策を打ち出す。それは英BBCと米CNNに対抗すべく、ロシアの立場で英語で国際ニュースを世界に報じるロシア・トゥデイの設立であった。そしてミュンヘン安全保障会議での怒りの発言のあった2008年には名称をRTに変更し、よりユニバーサルなイメージを打ち出した。
 ただ事態はそれで収まらなかった。2014年にウクライナで親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が辞任・亡命に追い込まれたユーロマイダンが起きた。再びロシアが敗北を喫したわけだが、ここでもアメリカの世論工作をみてとったプーチンは完全にキレた。それが同年のウクライナ東部・クリミア侵攻につながるのだが、そうした軍事行動と並行して、アメリカのNEDをロシア国内での活動を禁止にしたのである。さらにRTとの連携を行うメディア企業のスプートニクを起こす。このスプートニクは、当初は通信社とみられていたが、実際はそれにとどまらずネットも含めた総合メディア企業である。そしてこのRTとスプートニクは、2016年の米大統領選を攪乱する役割を果たす。前回に述べたが、民主主義の盟主を自任し、その価値が世界共通のものであるというアメリカに対する正面からの否定であり攻撃であった。
 そうしたプーチンの行動に対して、アメリカもようやくその「本気度」に気づき始 めた。そしてNEDがロシアで出入り禁止になったように、米政府はアメリカの価値観に真っ向から異を唱える国際テレビ局RTのアメリカでの活動を大きく制限する。また今回のウクライナ侵攻では、イギリスがRTに同国でのメディア活動を禁止している。
 このように見てみると、プーチンの「怒り」の根拠を理解することはできる。そしてそれを支持する
国はロシア以外にはないようにも思える。だが…… (以下、次回)

第1回発行:2022/04/03

 今回のロシアによるウクライナへの侵攻についての大きな特色の一つが「情報戦争」だと言われている。その点において、これまで「戦争とメディア」を追いかけてきた私にとっては、極めて興味深いものだ(もちろんこれは、戦争における殺戮や悲惨さを無視しているものではないことを改めて断っておくが)。そこで、今回はこれまでの戦争とメディアとの歴史を概観しつつ、ロシアのウクライナ侵攻における「情報戦争」が、その中でどのように位置づけられるかをイントロとして述べてみたい。
 いうまでもないことだが、ロシアのウクライナ侵攻におけるこの戦争をメディアの観点から見た場合には「ネット時代の戦争とメディア」ということになる。戦争とメディアにおいては、メディアとそれによる世論の盛り上がりや戦争遂行側のメディア・世論操作という視点はどの時代も変わりはない。違いはメディア技術の変化・進歩によって、その影響や戦略が大きく変わってきたということである。そして今回のケースについて最初に結論を言えば、完全なネット時代に入った中での戦争であることと同時に、これまでは第三者であるメディアが情報を発信し、戦争遂行者はそのメディアをいかに自らに好ましい形で情報を発信させるように腐心したことに対して、今回は戦争を遂行する側自身が情報の送り手にもなっているということである。
 戦争へのメディアの影響が論じられるようになったのは、大衆メディア=大衆新聞が広く普及する時代になってからであり、19世紀から20世紀にかけての時期である。そしてこの時代の大がかりな戦争は、1904年からの日露戦争であり、1914年からの第一次世界大戦ということになる。この時代においては、売れるためにナショナリズムを煽る形のものが中心であった。一方で戦争を遂行する政府も、ほとんどが戦争が始まってから新聞報道による世論の盛り上がりを知り、ようやくメディアコントロールの重要性を認識するというレベルであった。
 次の第二次大戦は、新聞に加えてラジオが大衆のメディアとなる。ここにおいて各国政府は、国内の世論統制と国外への情報発信の重要性を認識する中で、メディアへの積極的な介入を行った。今回ロシアが国内で厳しい言論統制を敷いているが、その姿に第二次大戦時下の状況への「デジャブ(既視感)」を感じた人も多いだろう。
 戦後はテレビの時代の戦争となり、その状況が家庭に映像で届けられたのが1960年代半ばから後半にかけて激しく戦火が広がったベトナム戦争である。この際には、戦線における悲惨な映像がアメリカをはじめとする世界に発信され、それが反戦と米軍の戦線縮小・敗北につながったとされ、メディアに敗れた戦争として広く知られている。
 そうした戦争のリアリティーがより明確になると思われたが、実際はそうはならなかったのが1991年のイラクと米を中心とする多国籍軍による湾岸戦争である。この時期になると、ベトナム戦争では一部でしかできなかった現地からのライブ放送が可能になった。それなら戦争の悲惨な状況が広く伝わったかと言えば、全くそうではなかった。その理由は、米政権が「イラクのサダム・フセイン政権は強敵であり、万全を期すべくメディアにも協力を求める」というメッセージを流して国民とメディアに先手を打って世論をリードしつつ、メディアの自由な取材を自制させることに成功したからである。そして戦争でも大勝利を収めた。
 ところが、12年後の2003年に起きたイラク戦争では、アメリカは世界のメディアに従軍取材を許し全面的に自由な報道を認めた。それは湾岸戦争後のイラクがかなり疲弊しており組みやすしと判断したからでもあるが、メディア的には、インターネット時代に突入していたことがその理由である。というのは、湾岸戦争の時とは違って、インターネット時代では様々なところから情報が発信される。そのため以前のような形でのメディアコントロールは、もはや不可能であると判断したからである。その代わりに行ったのが、非常に積極的な米政府の情報発信であった。それにより常にアメリカの説明する戦争の状況が「事実」であるという情報環境をつくって国際世論をリードした。
 そこで今回のロシアのウクライナ侵攻である。これはインターネット戦争という点では、2003年のイラク戦争の延長線上にあると言える。一方で、イラク戦争ではまだ限定的だったインターネットは世界的にほとんどの人に広く多様に使われている。そうした中で、戦争を遂行するそれぞれの政権自身が、インターネットというメディアを自らがもち、それを通じて直接情報を発信したり、偽情報を流したりしていることが特筆すべき点である。その意味で、これまで最も戦争遂行者が「直接的」に情報操作を行う戦争であると言えるのである。
 ロシアは2016年の米大統領選で共和党候補のドナルド・トランプを応援しつつ、民主主義の盟主を自任するアメリカの選挙制度が、実は十分に機能していないという印象を与えるために、フェイスブックやツイッターなどで、大量の偽情報を流した(ロシア側はその事実を認めていないが)。ロシアはそこで培った「技術」と経験をウクライナへの侵攻でも存分に発揮した。侵攻直後にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が首都を逃げ出したなどの偽情報の流布などがその最たるものであろう。またゼレンスキー大統領が国民に降伏を呼び掛けたとする嘘の映像が広がったこともあった。それ以外に多くの偽情報や偽映像が流れているが、それらについてロシア政府が関与したという明確な情報はないが、これは直接・間接に彼らによる行為が大半であるというのが一般の認識である。
一方で、ウクライナ側も偽情報を流していることを指摘しておきたい。これも侵攻された直後のことであるが、ウクライナ軍機がロシア軍機を何機も撃墜する映像がツイッターにアップされて、そのパイロットがヒーローなってウクライナ国民の士気を鼓舞したということがあった。だがその映像は今回の戦闘とは別物であることがわかっている。  大きな戦争はある程度の周期をもって発生する。そしてそのたびごとにメディア自身とそれを取り巻く環境は異なっている。今回もまた、戦争とメディアは別の次元に突入したことがわかる。そしてそれは、これまで以上の情報の扱いを難しくさせている。
(以下、次回)

「日本は台湾に何ができるか」

石澤靖治(2019/05/13)

 これまで何度か行っている台湾だが、先日2年ぶりに訪れる機会があった。
 そこでは有益な意見交換ができたのだが、それとは別にわずか2年の間に台湾における「日本化」が、さらに大きく進展していることに驚いた。
 タクシーでは何度か日本のAKB的なグループの歌が日本語でかかっていたし、テレビをつけると「刺身がこれだけ大盛で安い店」というCMが流れる。
 娯楽施設に出店している食堂では、さんまの塩焼きのメニューサンプルが普通に飾られていた。
 若い女性のファッションも日本人と見間違えるほどだ。
 日本と台湾との距離がさらに急速に近づいていることがわかる。
 しかしというか、だからこそ来年が心配になる。
 総統選挙が予定されているわけだが、現在の民進党・蔡英文総統への支持が芳しくない中で、党内で元行政院長の賴清德氏が立候補を宣言。
 一方で中国は台湾と外交関係にある国々を激しく切り崩しにかかっている。
 中国が支援する国民党が勝利を手にするのだろうか。
 あるいは台湾統一の意思を強く示している習近平国家主席が、何らかのより踏み込んだ行動をとるのだろうか。
 日中関係は一定の安定した状態にある。
 だからこそ、中国と台湾との対立が明確になったときに、日本は親日国であり戦略地である台湾に何をするのだろうか。何ができるだろうか。

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